逆境をチャンスに変える!コシノヒロコさんの思考とは?
ありがとうございます!
高杉勇成です。
今回は、
株式会社ヒロココシノの
社長であり、
一流ファッションデザイナー
でもある
コシノ ヒロコさんから
逆境をチャンスに変える思考を学びます。
28歳で起業したコシノさん。
そして、仕事が忙しくなるに連れ、
旦那さんとのすれ違いが多くなり、
30代で離婚しました。
当時、子供もいて辛い離婚。
それを乗り越えるキッカケになったのは
次のエピソードだと話します。
「あるときに道を歩いて
車がドンドン走っていて
本当にもう厳しい道の所に
小さい紫色の花が
きちきちのコンクリートの
間から顔を出していた。
いつ何時、人間に踏まれて
自分の生命を絶ってしまうか
分からないような状態でも
けなげに咲いているんですね。
これを見たときに
こんな小さな名もない花でも
こうして生きているじゃないかって
頑張って生きてればね、
雨も降って来る。
そして、生きられる。
必ず私にもすばらしい雨が
降ってくれる。
だから私も頑張る!
それからですよ。
本当に何を見ても有り難かったし、
付き合いも上手くいったし、
別れた主人にも
「ありがとう」って言えました。
いかがでしょうか?
ただ、コンクリートの隙間に
咲いている花を見ただけです。
違う人が見ても何とも
思わなかったかも知れません。
でもコシノさんは
「自分も雑草の花のように強く生きられる!」
とポジティブに意味付けをしたんですね。
素敵です。
その後、
45歳でビッグチャンスを掴みます。
コシノさんは、
大手アパレルメーカーの支援を得て
念願のパリコレにも進出し、
パリでも高い評価を受けました。
さらに支援してくれた
アパレルメーカーの会長から
「コシノブランドとして
既製服を売り出したい!」
と提案されました。
当時、
デザイナーが起業し、
自分のブランドを展開するには
2つの形がありました。
1つは、
デザインをメーカーに売る
ライセンス契約。
もう1つは、
デザイナー自身が起業し、
自分の会社で
デザイン・製造・販売まで手掛ける方法。
コシノさんが提案したのは、
どちらでもない独自の提案でした。
デザイナーとアパレルメーカーが
資本金を出し合って合弁会社をつくり、
それぞれ得意な分野を
担当する仕組みにしたのです。
コシノさんは、
このビジネスモデルの発想も
デザインだと言います。
デザインとは
何と何をどう組み合わせ
どういう形に表現するか。
だから、
「経営戦略もデザインだ」
と言います。
その後、
会社は順風満帆かと思いきや
パリコレを10年続けた頃、
コシノさんに試練が訪れます。
急激な円高により、
会社が赤字になったのです。
これによって、
パリコレの撤退も余儀なくされました。
ここでコシノさんの合弁会社は
海外から撤退し、
日本の市場に集中する戦略をとったのです。
しかし、
日本ではバブル崩壊の真っただ中。
コシノさんは、この逆境を
どう乗り切ったのでしょうか?
コシノさんは自身がもっと、
お客さん目線に合わせながら
独自のマーケティングを始めたのです。
例えば、
自分で着てみて
「これは違う!」
「この部分はこうすべきだ!」
「合理的にお直しを出来るにはどうすればいいか?」
などと試行錯誤しました。
そこから、
次第に会社は成長していき、
右肩上がりとなったそうです。
波瀾万丈な仕事人生、
離婚・会社の赤字・バブルの崩壊と
試練が続いたコシノさんを
支えてきたものは何なんでしょうか?
コシノさんは次のように言います。
「試練ていうのは、
あればあるほどいいんです。
試練ていうのは、
体験して、
それを乗り越えたとき、
もっと大きな自分になるんです。
私はそういうことを体験しているんです。
だから、
試練?逆境?
ドンドンいらっしゃい!
これをバーンと乗り越えたるよ。
乗り越えたら
もう一つ上になるねんから、
これ楽しんで頑張ろうって!
だから、怖くないの!」
以上が、
コシノさんの
逆境をチャンスに変える思考です。
コシノさんの仕事人生は
大局的に見れば大成功ですが、
その途中途中で試練という
大きな波が何回も襲ってきました。
しかし、
「試練はあればあるほどいい」
「試練を乗り越えれば大きな自分になる」
「試練、逆境を楽しもう」
という思考が今のコシノさんを
つくり上げたのかも知れません。
コシノさんの
前向き思考を
是非見習いたいものですね。
本日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございます。